佐田繁理(さだしげり)はさだまさしの弟!奥寺康彦も日本人初の海外プロサッカー選手?

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2026年6月30日(火)に、『X秒後の新世界』で日本人初の海外プロサッカー選手は超大物歌手の弟として

佐田繁理(さだしげり)さんが紹介されました。

2026年のFIFAワールドカップ開催期間中ということもあり、海外プロサッカー選手の第一号として話題となっているようです。

本記事では、佐田繁理(しげり)さんが海外で活躍したサッカーの経歴についてわかりやすく解説します。

目次

佐田繁理(さだしげり)さんとは?

サッカーボールと夕焼け

佐田繁理(さだしげり)さんは元プロサッカー選手であり、現在は芸能事務所「さだ企画」の代表取締役社長を務めています。

【プロフィール】

  • 名前:佐田繁理(さだしげり)
  • 生年月日:1954年12月13日
  • 年齢:71歳(2026年現在)
  • 出身地:長崎県長崎市
  • 職業:元プロサッカー選手、実業家

【サッカーの経歴】

  • 長崎南山高等学校出身。長崎県選抜に選出され九州大会に出場。ポジションはフォワード(左ウイング)。
  • 高校卒業後に国立台湾大学へ留学し、サッカー部に入部
  • 大学のチームメイトの父親がスカウトを務めていた縁で、香港のサッカークラブに入団。
  • 大学在籍中に関係者からサッカー台湾代表の招集を受ける。

大学への復学も考えていたため、1年間の期限付きの入団だったようです。

サッカー台湾代表の招集を受けた理由もユニークです。

日本名を名乗る華僑の子(中国に生まれ後に海外に移住していた人々)と勘違いされていたようで、

後に国籍が日本人だと判明して代表入りは果たせませんでした。

海外のクラブチームに日本人が在籍したのは佐田繁理さんが初めてとなります。

佐田繁理(さだしげり)はさだまさしの弟!

中のいい兄弟の後ろ姿

苗字からも推測がつくかもしれませんが、

佐田繁理さんはシンガーソングライターのさだまさしさんの実の弟です。

さだまさしさんファンやその世代の方にとっては、「佐田繁理」という名前を

目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

もしかすると、芸能事務所「さだ企画」の代表取締役社長または弟であることは知っていても、

サッカー界で歴史を築いた人物であることはあまり知られていないかもしれません。

佐田繁理さんは、2歳年上の兄であるさだまさしさんとは幼い頃から非常に仲が良く、

さだまさしさんがソロとして独立する以前から、「いつか自分が独立したら手伝ってほしい」

と佐田繁理さんへ話していたといわれています。

佐田繁理さんはサッカー自体のキャリアは1年間のみで、語学を学ぶためニュージーランドへ渡り、

帰国後、兄との約束を果たす形で、現在の芸能事務所「さだ企画」の運営に携わるようになります。

現在も代表取締役社長として、コンサート運営やマネジメントなど、兄の音楽活動を舞台裏から支え続けています。

芸能事務所のマネジメント以外にもサッカーの経歴を活かして、

2008年3月~2026年3月31日までの18年間、栃木県の「FCエルマーノ那須」という中学生年代のサッカークラブの代表も務めていました。

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本当に最近まで活動されていたんですね!

FCエルマーノの公式HPには、佐田繁理さんの『終わりの言葉』が綴られています。

近隣にサッカーチームが2つしかなく、そのうちの1つが活動できない状況に陥り、その後を引き継ぐ形でエルマーノが出来ました。中学生がサッカーをする環境を整えることを目指して活動を続けてきました。気が付けば、近隣のサッカーチームも6チームとなり、当初の目的も果たせたと思っています。

代表・GMが70歳を超え、体力的な限界も感じていました。何方かにチームを託すことも検討しましたが、不安の残る状況で引き継ぐことより、活動を止めることを選択しました。

※FCエルマーノの公式HPより参考引用

奥寺康彦も日本人初の海外プロサッカー選手?

サッカーボールを2人で追っている

サッカーファンの間では長年、「日本人初の海外プロサッカー選手は奥寺康彦という認識が広く浸透していました。

奥寺康彦さん:1977年にドイツ・ブンデスリーガの名門1.FCケルンへ移籍し、日本人として初めてヨーロッパのトップリーグで大きな成功を収めた方です。

感情に流されず正確で計算されたような安定したプレーを披露したことから、

ドイツのファンやメディアから賞賛を込めて「東洋のコンピューター」という愛称で呼ばれました。

漫画『キャプテン翼』では、日本代表監督として実名で登場しています(実際は日本代表監督はやっていません)。

リーグ優勝やカップ戦優勝を経験し、日本代表としても活躍したことから多くのメディアが

「日本人初の海外プロサッカー選手」と紹介するようになりました。

しかし実は、佐田繁理さんが香港でプロ契約を結んだのは1960年代後半で、

奥寺康彦さんがドイツへ渡るより約10年も前のこと。

近年では、日本人で初めて海外のプロクラブと契約し、公式戦に出場したのは佐田繁理(さだしげり)さんだったという見方が広く知られるようになりました。

つまり、奥寺康彦さんが「日本人初」と紹介されてきた理由としては、

メディアが「海外のチームでプレーした最初の選手」と「海外トップリーグで成功した最初の選手」が混同されていることが多かった

ということになるでしょう。

まとめ

本記事では、佐田繁理(さだしげり)はさだまさしの弟!奥寺康彦も日本人初の海外プロサッカー選手?

というテーマでご紹介しました。

「どちらが日本人初なのか」という点に注目が集まりがちですが、二人の功績自体がそれぞれ異なります。

  • 佐田繁理さん:日本人として最初に海外のプロクラブでプレーした
  • 奥寺康彦さん:ヨーロッパのトップリーグで成功を収め、日本人選手の海外進出を世界に示した

佐田繁理さんが海外への道を切り開き、その後に奥寺康彦さんが世界トップレベルで活躍したことで、

日本人選手の海外進出は大きく前進しました。

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現に三笘薫選手や久保建英選手など、多くの日本人選手が世界の舞台で活躍しています。

その礎を築いた人物として、佐田繁理さんと奥寺康彦さんの両者は、今後も日本サッカー史に欠かせない存在と言えますね。

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